自己撞着

※家康の命日=関ヶ原で戦死した日設定




石田三成は恐ろしく気分が優れていなかった。
原因は分かっている。
4月17日、徳川家康の命日なのだ。そう、己が殺めてしまった男の。

「気持ち悪い……」
毎年のように襲ってくる体調不良。
現れる症状は大体決まっていて、頭痛・吐き気・腹痛……というところだろうか。
今年こそ熱は出なかったが、その代わり頭痛が酷い。
「大丈夫か? 石田」
「後は帰宅するだけだ。心配いら……ん」
普段の威勢はどこへやら、まるで弱った子猫の如く体を丸めて机に突っ伏している三成の頭を撫でながら「ずっと言いたかったんだが」とおずおず切り出した。
「家康のことまだ恨んでんのか?」
「それは違う!!!」
立ち上がり様に机に手を打ちつける。
ドンという音が二人きりの教室に木霊した。
「私が……いけなかったのだ。確かに秀吉様を討ったことは万死に値する罪。だが、それでも、諦めきれなかったわたしが恨んでいるのは、他でもないこの私だ」
ただ彼の方は、一国の将として戦に散っていった。
事実はそれだ。
忘れていたから。一番大切なことを。
「……背いたのは」
急に脚に力が入らなくなり、半ば倒れこむように椅子に体を預けた。
再び教室に音が木霊す。
肩が小刻みに震えている。泣いていた。
彼のそんな様子に、元親はぽつりぽつりと呟く。
視線は窓に向いている。ちょうどあの日もこんな天気だったか。
「石田は悪くない。家康も。何も悪くないんだ。業? 天命? ってなんかよくわかんねーけど、もう縛られる道理なんてないだろ?行ってこい。もう二度と後悔しないよう。今の時間なら生徒会室にいると思うぜ」
顔を三成に向けると、目の周りが僅かに紅くなっている以外はいつも通りであった。
暫く視線を絡ませた後、「感謝する」との言葉を残し飛び出して行く。


「家康!!」
壊れんばかりの勢いで扉を開けた。
書類らしき物から離された目は、突然の訪問者に釘付けになる。
僅かに表情は曇っていたが、気にも留めず、微動だにしない家康の襟首を掴む。
殴られる。反射的にそう思った。
訪れるであろう痛みにぎゅっと瞼を閉じて時を待つ。
……空気が動いた、ような。
いよいよ来たのだと体が強張るのを感じ取れる。
果たして心配は杞憂に終わることとなった。
拳が飛んでくることもなければ、首を締められることもなく。
ただ己の肩に三成の顔がうずめられていた。
予想だにしなかった事態に頭の中が真っ白になる。
何を言おうかと口をパクパクさせていたが、一寸の後、静かに呟いた。
「すまん」と。
頭をぶつけるのかと思うほどのスピードで、肩にうずめられていた顔が眼前に迫ってきた。
三成の目からは涙がしたたり落ちている。
嗚咽を入り混ぜながら、彼は喚く。
「どうして、貴様がっ、謝る!? 私はお前を殺した!!」
「……ワシは秀吉殿を殺した」
懐かしくもあり、それはまるで、昨日起こったような出来事のように鮮明な映像が流れ込んできた。
対峙する二人の姿。迫り来る甲冑の音。力と力のぶつけ合いの果て、敗れる者。篠突く雨。

逃げる間際に聞こえた名を呼ぶ声。

そう、ワシは逃げたんだ。ワシの、罪は、重い。
「殺してくれ。もう一度。ワシを。其の手で、もう一度」
来世では。倒れる間際にそう誓ったのに。
遺恨も輪廻をし得るのか。
いや、だからこそ……なのであろう。
終わりなんて分からない。
何度も、何度でも、殺しあうのだ。
それはワシにかけられた罪なのだから。
横目でちらと窓から見えた空には厚い雲が、あの時と同じ物があった。
「さあ、三成、やってくれ」
窒素させるには、十分なはずだ。
意を決し再び目を閉じると、首当たりに暖かな感覚を覚えた。
「ぐえ」
と、突然腹部に衝撃が走った。
踏み潰された瞬間のヒキガエルと表現するのに相応しい声が口から出る。
回した背中に爪を立て、胸に身体を預けていた。
「……私は貴様の命日になると体調が悪くなる」
「うん……知ってる」
元親から間接的に聞いたことはあったけれど、本人から伝えられるのは初めてだった。
顔をあげること無く淡々と三成は喋る。
「何故だろうと考えていた。勿論、罪悪感から――秀吉様への、貴様への。そして何より、気づいたのだ」
心の奥底に眠っていた。見られないように、見ることのないように。
言ってしまえば楽になるという保証は無い。
だとしても、今伝えなければ悲劇が輪廻してしまうのだろう。
小さく、だけれどもはっきり聞き取れるよう告げた。
「愛している。四百年前から、ずっと」
黙ったまま、自分も三成の背に腕を回し強く掻き抱く。
きっと障害はまだ沢山あるのだろう。
ゆっくりでいい。 今まで、前世だけはでない、今生での穴をも埋めて行きたい。
「ワシも愛しているよ、三成」

鈍色の空の中、一筋の陽の光が下天を照らしていた。
ああ、どうか、現世では、幸大からんことを。


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