ある昼下がりの狂気

※カニバリズム注意




「邪魔するぜー」
勝手知ったる他人の家。元親はチャイムを一度鳴らした後、家主の返事を待つことなく扉を開けて玄関に入った。
ふわりと鉄がさびたような香りが鼻腔をかすめ、元親は小さくため息をついた。目の前には二足の靴が綺麗に並べられて置いてある。黒のローファーと控え目なヒールのついたベージュのメンズブーツ。おそらく腐れ縁のあいつも来ているのだろう。
「石田よ。この肉はどこで仕入れたのだ。随分とこわいが」
「官兵衛に任せたからな。知らん」
だが確かに硬い。子供を持ってこいとだからあれほど言っておいたのに。今度会ったら殺してやろうか。しかし、官兵衛なぞ死んでも食べたくはなかった。
三成は手にしていた輪切り状の二の腕を口に放り込み、次に食べる部位を物色し始めた。
「よ、よお。お二人さん」
足、胴、胸、腕、手、首。大雑把に切り分けられたそれらはブルーシートの上で血液にまみれて異様な雰囲気を醸し出していた。最初に見た時は情けなくも失神してしまったのだが、何度も見ているうちに慣れてしまったらしい。
「長曾我部。貴様も食べるか」
耳たぶと思しきものを三成は親指と人差し指でつまんで元親にちらつかせた。血水のにおいが濃くなる。元親はわずかな皺を眉に寄せて、静かにかぶりを振った。
カニバリズムと呼ばれているらしい彼らの行為はひどく人道的に反している。元親だって十二分に分かってはいた。けれど、どうして止められよう。ただ黙っていること。それが彼にできる精一杯であった。
「ちょかべ」
「ちょかべ言うな」
「暇なら我らのためにラーメンを作れ」
唐突に出されたおおよそ非日常的な光景に釣り合わない単語に元親は一瞬だけ不思議の感にとらわれた。人肉以外を食している場面を見たことがなかったので、それもあったかもしれない。
「ラーメン? 別にいいけどよ」
「貴様にしては好ましい判断だ。石田。材料は」
「黒のビニール袋に入っている」
元就があれか、と言いながら立ち上がる。カーキ色のパンツにしみが点々と散らばっていた。
「頼んだぞ。麺と、骨は出汁に使え」
「麺って黒いやつ」
「他に何がある」
「……左様ですか」
(いやいやいや、どう考えても髪の毛だろ!!)
袋から取り出され、手の平の上にのせられた圧倒的な質量に元親は軽く眩暈を覚える。しかもご丁寧に一本一本、根元から抜いてあった。
調理してしまえば、共犯者として扱われることになるのか。素知らぬ顔で過ごしているのだからもうすでに共犯者か。いずれにせよ捕食者たちを前に断る輩などいるはずもなく、今度は元親も頷くしかなかった。
*
「犯人は『なぜじゃー!』と叫びながら逃走したとか」
「嫌な事件ですね」
薬味用のネギを刻む小気味よい音とテレビから流れてくるアナウンサーの声。ありふれたどんな家庭でも見ることのできる風景だ。リビングを除いては。
「完成したぞ」
正しい頭髪のゆで時間は勿論分からなかったから、その辺は適当にした。二人のプレデターの瞳が器を面前にして爛々と輝く。
ずるずる。ずるずる。ずるずる。何かおぞましいものが地を這っているようで、視界だけにとどまらず聴覚からも犯されてゆくような気がした。
「……俺帰るわ」
どっと言いようのない疲れに襲われた元親は自分の鞄を持ち、よろよろ玄関に向かって歩き始めた。当初の目的も忘れて。

夢に出ないのを祈るばかりだった。


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