曼珠沙華は笑わない

西軍の一軍師である大谷吉継。
彼は最近、己が軍に一人の人形を引き入れた。
織田信長の妹――お市、その人である。
人間不信真っ只中の西軍総大将石田三成は、黒田官兵衛や小早川秀秋らにするような殴る蹴るその他語るに忍びない無慈悲な仕打ちをお市にしていたということはなかったが、多大なる嫌悪感は持っていた。
いや「第五天には決して手を上げてはならぬ。よいな三成。我からのお願いよ、オネガイ」という大谷からの言伝があったからこそ、それだけで済んでいたのかもしれないが。
言伝をされていなかったとしたら、彼のことだ。
平手打ちの一つでも嚼ましていたに違いない。
さて、三成はこのことから分かるように、大谷に何かを頼まれれば「NO」とは言えない。
勿論遂行もしてみせる。
詰まるところ、彼の大谷に対する従順度は高い数値を見せていたわけで。
故に今、お市のいる部屋の前に彼が立っているのも、全てやはり大谷が始まりだった。

「第五天」

開口一番三成は、部屋の隅に鎮座して天井をぼんやりと眺めていた市に声をかけた。
ちなみに彼、声も何も掛けず市のいる部屋に入って行ったのだけれど、もしこの光景を徳川家康が見たとしたら、三成はもっとこう人の気持ちをだな云々、と苦笑いをしながら嗜めることだろう。
言ったところで無駄だと知りつつも。
豊臣と竹中、そして大谷の三人以外にそのような態度をとる術を持ち合わせていなかったのだから。
自分が呼ばれたことに気づいたお市はちらと声の主を見た。
見てすぐに視線を天井に戻してしまったが。
三成はそんな市の様子を意に介そうとはしなかった。
言わば彼女は彼にとって、ある意味では蚊帳の外の存在。
そのような人間に、たとえ歯牙にもかけない態度をとられたとしても問題ではないのだ。
主人が讒謗されなければ良いと。

「闇色さん」

元々ここにやって来た目的と言うのは
「第五天の様子を見てこい」
大谷にそう三成が頼まれたからである。
それは暗に、第五天と少し話でもしてこい、という意味が込められていたのだけれど、勿論石田三成に届くはずもなく。(大谷は分かっている上で、後で一人忍び笑いを漏らすつもりだった)
市が三成の名を呼んだのは、そんな彼が踵を返して部屋から出て行こうとした時だ。
「闇色さん」
もう一度口にされると、彼は然も面倒くさげな様子で顔だけを市の方へ向けた。
「なんだ」

三成は一刻も早く帰りたいとばかりに不機嫌な声で、問う。
市は依然と部屋の隅に鎮座したままぽつりぽつりと、語る。

「市ね、あなたに似てる人知ってるわ。名前も顔も声も全部全部思い出せないけれど。でも、これだけは分かるの。市にとって、とっても大切な人だったって。だから……闇色さん」


「死なないで、ね?」


(――二度と、もう)


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