三成読本(下)

「な、なんだこれは……!」
 放課後のことである。職員室へ出向いて教室に戻ってきたときにそれはあった。
「緊縛、スナイパー……」
 三成の普段は白を通り越して青白い顔が羞恥心で赤く染まる。
 教室に自分以外誰もいなかったことに安堵した。こんなところを目撃されたらたまったものではない。
 ほぼ全裸同然の女性の体には縄がきつく食いこみ、 その顔は憂いをたたえている。苦痛に悩まされているとも、見る側を誘っているとも取れる表情だ。
 健全な男子高校生であれば一度は手にしたいと思うであろう大人のための雑誌。三成が帰り支度をしようと、机から教科書類を取り出せば一番上に載っていた。
 三成も健全な男子高校生にはおそらく変わりはないのだろうが、半兵衛の「大人になるまで見ちゃいけません!」という教育方針によって、今までこのような物とは無縁に生きてきた。
 それなのにどうしてこんな物が机の中に入っているのか。三成は一人の人物に目星をつけた。こういうくだらないことをする奴はあいつしかいない。
 雑誌から視線を外し、隣の席を睨む。長曾我部元親。それがその席の持ち主の名前である。
 元親はことあるごとに三成をからかっては、彼の反応を見て楽しんでいた。曰く「石田は純粋でなんでもすぐに間に受けるから、からかいがいがある」だそうだ。
 いい加減三成も免疫がついてきたらしく、最近ではスルースキルを発動できるまでに成長したが、いかがわしい雑誌は彼の受け流し能力よりも数段上を行ってしまっていた。
 元親は放課後は大抵音楽堂のそばの駐輪場にいる。今日もおそらくそうに違いない。
 三成は雑誌を鞄に押しこむと、駐輪場に向かって一目散に駆け出した。
「おのれ長曾我部!!」
*

 案の定元親は駐輪場にいた。自分をアニキと呼んで慕う子分たちと額を突き合わせて、なにやら話をしている最中だった。
「見つけたぞ、長曾我部」
 三成が地獄の底から響いてくるようなドスのきいた声で言う。すると騒がしかった駐輪場に一瞬にして緊張が走った。
「ア、アニキ! 石田さんですぜ!」
 子分の一人が弾かれたようにして元親を呼ぶ。子分たちは、元親が三成にちょっかいをかけては怒鳴られる光景を何度も目撃してきたが、今日の三成の尋常ではなさそうなキレ具合には冷や汗を禁じえなかった。
 元親は輪の中心からのっそりと立ち上がると  
「石田? ああ、なるほどな。見つかったか」
 白い歯を見せながらニヤニヤと笑いながら言った。
 間違いない。この瞬間に三成は確信を得た。
 しかし、アレを大勢の前で晒すのは後々誤解を生む事態にも繋がりかねないだろう。三成はそう考え、まず元親を連れ出そうと彼の腕を強く掴んだ。いってえ、と元親の口から苦痛の音が漏れる。
「すまないがこの馬鹿を借りる」
 子分たちはすっかり閉口してしまって動くこともできずにいた。三成は彼らにそれだけを告げると、そのまま力任せに元親をずんずん引っ張っていった。
*

「これはお前の仕業だろう」
 三成は校舎裏に着くなり、鞄の中から件のブツを取り出した。そしてそれを忌々しげに元親に向かって投げつける。
「そうだな」
 三成の乱暴に対して元親は微動だにしなかった。慣れと言ったらそれまでだが、元親の開き直ったような態度に三成の怒りのボルテージはさらに急上昇した。
「私は今、頗る機嫌が悪い。何故このようなことをした。まったく毎度毎度貴様ときたら私をどこまで虚仮にすれば気がすむんだ!」
「今日のはお前が悪い」
 元親の人差し指が三成を捕らえる。まるで「犯人はお前だ!」とでもいいたげである。
「私が悪い? なにを言っている。貴様が私に辱めを受けさせたのだろう」
 三成は図りかねるといった様子で首を捻った。彼の銀の髪がふわりと揺れる。
 三成には元親の主張していることがまったく分からなかった。自分がなにをしたと彼は言うのだ。常に被害者であったのはこちらの方だ。
「違うね。恥ずかしい思いをしたのは俺だった」
「……いいだろう。貴様がそこまで私が間違っていると責めるのであるならば、私が納得するような説明をしてみろ。発言を許可する」
 元親の言い分はこうだった。
 物理の授業中のことである。
 教室には白墨が黒板をなぞる以外の物音は一切ない。つまりはとても静かということだ。
 二人のクラスの物理を担当している教師の名を雑賀孫市と言う。彼女は教師の職業にプライドを持っていた。ゆえに、授業の邪魔をしたり居眠りする者には、必中チョーク投げの刑が待っている。
 静かな環境はかえって眠気を増長させるものだ。それでも痛い思いをしたくない(孫市の投げるチョークは当たると悶絶するほど痛い)生徒たちは落ちそうな瞼を必死にこじ開けてノートをとる。
 しかし気に留めない者もいた。元親だ。
 彼は居眠り常習犯だった。それは物理だけではなく、実習や体育の他は、彼が起きている姿を目撃できないほどだった。
 その日の授業も、元親は眠っていた。大胆にも机に突っ伏している。
 三成は隣席のその堂々とした様子に呆れながらも、しょうのない奴だ、と思い彼の肩を少し乱暴に叩いた。
「長曾我部、起きろ。また孫市のチョークをくらいたいのか」
「……オレら半農……半兵……命知らずの野武士ナリ……」
 一向に起きる気配がない。あまつさえ謎の寝言まで言う始末である。もう一度さらに強く叩いてみたが、邪魔をするな、とでも言いたげに身じろいだだけでなにも変わらなかった。
そこで三成は、ふとあることを思い出した。以前元親の子分から聞いた話だ。

「アニキには魔法の言葉があるんです。それが聞こえれば、たとえどんなに爆睡していたとしても必ず起きます」
「それはどんな言葉だ」
「姫若子です」
「姫若子?」

 それは三成が初めて耳にする言葉だった。意味などもちろんわかるわけがない。そして今も結局知らないままだ。姫若子とはなんだ、と三成は続けて尋ねたのだが、子分は黙ってかぶりを振った。そこまでは知らないと言う。
だが要は起こせればなんでもいい。
 三成は元親の方に身を寄せると、その耳元でささやいた。
「姫若子」
「おのれ吉田孝世!」
 子分の話は寸分の狂いもなかった。三成が言い終えるか終えないかのうちに、元親は飛び起きた。椅子ごと体も倒れてしまいそうなすさまじい勢いだった。
 水を打ったようにひっそりとしていた教室だ。元親の叫び声が聞こえないはずがない。クラスメトはみな、口にこそしないものの、なんだなんだと元親へ視線を注いだ。
 姫若子、という言葉を聞くと元親は「おのれ吉田孝世!」と叫ばずにはいられない。今やそれは反射の域に達していた。けれど元親は子分たちが知らないのと同じように、姫若子がなんなのかを認知していなかった。吉田孝世についても同様である。だから、どうしてそう叫びたがるのかなどという疑問などは、考えるだけ無駄とも言えた。
 さて、注目を浴びている元親だ。向けられる無言の眼差しにすっかりあてられ、動けなくなっていた。元親は図体は大きく、学園の番長なる通り名を持ってはいたが、実際には照れ屋な面があったり意外と繊細な作業が得意だった。それに元親にすれば、いっそのこと笑って流してくれた方が楽でもあった。長曾我部元親はそういう男である。
 言うまでもないかもしれないが、元親はこのあとクラスメイトの視線を受けつつ孫市からチョークを額にお見舞いされたのだった。
 以上が元親の主張したすべてである。
「お前が妙な起こし方したせいで、俺はいらねえ恥をかく羽目になったんだ!」
「なんだそれは。責任転嫁にもほどがあるだろう! 大体、授業中に寝る貴様が悪いのではないか。私は貴様を起こしてやろうとしただけだ。そもそも姫若子やら吉田孝世とやらは一体なんなんだ」
「そんなの俺が一番知りてえよ!」
 要するに、元親は仕返しのつもりで三成の机の中にエロ本をしのばせておいたのだった。どちらが悪かと問われれば、元親側に手が上がるのは必定だろうが。
「とにかく二度とこのような馬鹿なことはするな! 雑誌も貴様が処分しておけ」
「ええ、でもこれは結構俺オススメのやつなんだぞ。お前どうせ中身も見てねんだろ。この子とかほら、超かわいい」
「寄せるな雑誌を寄せるな!」
 雑誌を元親が三成の顔に向けて押しつけると、三成は見るまいと必死に目を逸らす。
「天国が拝めるかもしれねえぞ」
「断固拒否する!」
 二人の攻防戦はしばらく続いた。続いたが、新参者の登場によってそれは幕引きと相成った。
「貴様らなにを騒いでおる」
「げっ毛利……」
「毛利か。ちょうどいい。この単細胞を二度と目覚めぬよう黙らせろ」
 現れたのは毛利元就。彼と元親はいわゆる幼馴染という関係にあった。ただし度々、元親が元就にその小柄な体躯からは想像できない力でドラゴンスープレックスを浴びさせられている点を見れば、ある意味世間一般で考えられている幼馴染とは少し違うと言えただろう。
 元就は日輪タイムを邪魔されたことに気が立っている。最高潮に不機嫌といった様子で彼は二人の前まで歩いてきた。
 日輪タイムとは日向ぼっこのことだ。元就は太陽を愛していた。自分以外の存在すべてを所詮は駒にすぎないと考えている彼にとって、太陽だけがその例外であった。太陽の神、天照大神だけを彼は唯一信じることができるものとして生きていた。
「石田。それはなんだ」
 元就の言ったのは例の雑誌だ。元親と三成の二人が互いに悶着しあっているうちに、また三成の手の中に戻ってきてしまっていた。
 元就は、そのいかがわしく黒光りする雑誌を侮蔑の瞳で見ると一言
「石田は縛るのが好みであったか」
「貴様らまとめて私が黄泉へ送ってやる! 死ね!!」




 今日はなんと疲れる日だったのだろうかと思いながら、三成は家路についていた。いつもはなんともなしに背負っている竹刀も、重く感じてしまう。
 例のエロ本事件は結局、実行犯元親は竹刀で半殺しの刑。元就については――彼は粗方の事情を察していた上で三成を揶揄したのだが、怒鳴るだけにとどめておいた。
 思い出すだけでも腸が煮えくり返りそうで、三成はゆっくりと深呼吸をする。そのとき、曲がり角から白い物体が小さな鳴き声を上げて出てきた。
「みゃあ」
「お前か。来い。共に刑部のところに行くぞ」
 猫だ。全身真っ白の毛並みが綺麗な猫で、大きな黒目を持っている。
 三成はしゃがむと、慣れた手つきで猫の頭をくしゃくしゃと撫でた。気持ちよさそうに猫がまた鳴く。
 こんな穏やかな三成は、秀吉と半兵衛それから吉継以外、滅多にお目にかかることができないであろう。口元に笑みさえ浮かんでいる。おそらく元親あたりが見れば、三成に熱があるのだろうかと思うに違いない。
 三成は昔から妙に動物に好かれるたちで、三成も動物には優しかった。この白猫は元々は野良猫だったのを三成が見つけ、吉継が飼うことになったのだった。ふらっと時々庭に通じている縁側から外に出て、こうして三成が帰宅際に会うこともある。
 優しく猫を抱き上げて再び三成は歩き始めた。
 竹刀はもう、重くはなかった。
*

「今帰った」
「ご苦労、ゴクロウ。今日も楽しかったか」
「……長曾我部が」
「長曾我部がどうした」
「いや、なんでもない。弁当置いておくぞ」
 三成は朝と同じく勝手知ったる他人の家と、吉継の家の中に入っていった。
 猫が三成の腕からするりと抜け出て畳に綺麗に降り立つ。そのまま吉継のもとへ進むと、彼の膝の上にジャンプした。
 まだ温もりは残っているのに、そこにあった質量のないことが虚しさを感じさせる。三成はぽつりと溢した。
「やはり刑部の方がいいのだろうか」
「主の膝はゴツゴツしていそうよなあ。固そうだ」
「別にゴツゴツなど、してはいない……」
 三成の手は無意識に膝へ伸びていた。




「半兵衛様、今日の夕餉はなんでしょうか」
「今日はお鍋だよ。片倉君から野菜をもらってね」
 豊臣家には一つの家訓が存在する。ご飯は必ず皆でそろって食べるというものだ。こうすることで、豊臣家がより堅固になるのだと半兵衛は言った。 
 あっさりとした塩ベースのつゆの中でたくさんの野菜がふつふつと煮立っている。鍋蓋を取ると、閉じこめられていた湯気がふわりと宙に放たれた。
 食事中の話題は自然と会社や三成の学校生活の話になる。半兵衛はふと思い出したように
「三成君今日、家康君と廊下で走っていて怒られたんだって?」
「な、なぜそれを……」
「うん。左近君が教えてくれたよ」
 左近め余計なことを……!と三成は歯噛みせずにはいられなかった。
 半兵衛と左近は互いに面識がある。左近が三成の家を訪れたときに半兵衛と会い、左近の人柄に好感を持った半兵衛は、時々こうして三成の様子を左近から聞いているのだった。
 三成と家康は顔を合わせればいつも喧嘩ばかりしている。と言っても、三成が一方的に家康に噛みつきにいっているにすぎない。
 昼休みに事は起きた。
 誰が始めに言い出したかはわからないが、目玉焼きにはなにをかけるかという論争になった。
 三成は塩と胡椒、対して家康はソースと言った。そこで三成が家康に食いついた。ソースなど、三成にとっては邪道の中の邪道だ。塩と胡椒、その二つのシンプルな調味料でこそ卵の素材本来の味を楽しむことができる。
「イエヤスウウウウウ!!! 私は貴様を許さない!! 目玉焼きにソースなど認可しない!! 逃げるなイエヤスウウウウウ!!!」
「そんな怖い顔されたら逃げるに決まっているだろう!」
 陸上選手顔負けのスピードで三成は家康を追いかける。目は血走り、口からは咆哮が漏れていた。家康はそんな状態の三成に捕まってしまえば最後命はないと知っているので、彼もまた懸命に走った。
 二人が廊下の端まで来ると、階段のある曲がり角の方から出てきた誰かに先を走っていた家康はぶつかってしまった。
 すまない、と謝るのと、固まったのはほぼ同時だった。
「おや、校内で鬼ごっこかな。仲の良いことだ」
「松永、教頭……」
 運悪く家康がぶつかったのは、この学校の教頭である松永久秀だ。彼は己の欲望に忠実に生きる男で、そのためならばどんな手段も講じるために生徒から恐れられている。そんな血も涙もない彼に、しかも廊下で走っていて衝突した。三成でさえも動きを止めて様子を見ている。
 彼は、廊下は走るな、と書かれているポスターを指しながら
「あれを見たまえ。廊下を走ってはならないと書いてあるだろう。読めないわけではあるまい。決まりを守れない悪い子にはお仕置きが必要だねえ」
 久秀がにんまりと笑う。
 それから二人は昼休みを潰して永が趣味でやっている茶道具を運んだり、興味もないのに延々と知識を聞かされることになった。
「おい秀吉! 小生にこんな小間使いをさせるとはどういうことだ!」
「官兵衛か。して、どうであった」
「聞けよ!」
「貴様官兵衛秀吉様になんという口の利き方を……! 残滅!」
 三成がどこから取り出したのか、今入ってきた男に竹刀を振り下ろす。ぎゃあと叫びながらも男はギリギリでそれを受け止めた。 
 男の名は黒田官兵衛と言った。彼は豊臣商社の部長職をしていたが、持ち前のツキの無さとイジメやすさから半兵衛や秀吉には雑用係のような扱いをされている。
「そういや小生の飯も用意してくれるって言ってたよなあ」
「あ、ごめん。全部食べちゃったよ。君の分もうないから」
「なぜじゃーっ!」
 半兵衛がしれっとした顔で言う。
 脱力した官兵衛の手をすり抜けた三成の竹刀が、彼の脳天を高らかな音でもって打った。




 夜の帳が下りるころ、三成は寝床に入った。
 布団で全身を覆われると、それまで冴えていた目が不思議とぼんやりしてくる。三成は息を吐いた。
 瞼を下ろせば今日一日の出来事が次々に浮かんでは消えていく。彼は遠い昔にも似たようなことがあったかもしれないと思った。
 こうしてまた明日が始まるのだ。彼の、誰一つとして欠ける必要のない明日が。 




戦国BASARA4をしました(今もやってますが)三成家康お姫様抱っこできちゃうんだなあとか、石田主従の想像以上のかわいさに悶絶する毎日です。そしてふと思ったのが、三成中心all学パロが書きたいということでした。誰も傷つかなくていい、死ななくてもいい。
書き終えてから(元豊臣を含む)又兵衛ちゃんだけいないことに気づいてしまったので、またいつかの機会に書きたいです。蒼紅も出したい。

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