溺没

遙の泳ぐ姿を見ていると真琴は思い出すことがある。遙君ってローレライみたい、と小学校時代のクラスメイトが言っていたことを。
ローレライはライン川にまつわる伝説である。ライン川を渡る舟に歌いかける美しい人魚たちの話だ。彼女たちの歌声を聞いたものは、その美声に聞き惚れて舟の舵を取り損ね、川底に沈んでしまうという。
だから遙がまるで人魚のような美しい泳ぎを見せていたことが一番の理由であったのだろうが、幼い頃から容姿端麗だったこと、音楽の授業の歌唱テストでは常に首位を独占していたこともローレライたる所以であると言っておこう。神はどれほどの物を彼に与えれば満足するのか。
実は級友からそれを聞いたとき、真琴はローレライのことを知らなかった。知らなくて調べたら愕然とした。
「真琴」
「……え、あ、うん。どうしたの。ハル」
「それはこっちが言いたい。さっきからずっとぼーっとしてる。入らないのか」
遙が真琴の前へすっと泳いでくる。それで昔の記憶から現実に引き戻された真琴はあたりを見回した。渚はビート板を手にバタ足を繰り返している怜を応援していた。江と美帆は何やら話し込んでいる。いつもと変わらない風景だ。
遙は真琴がよくしてやるよう
「来いよ」
と手を差し出した。
遙が本当にローレライだったとしたら。この手を取った瞬間に自分は沈んでしまって、太陽の光の届かない暗い暗い場所で最後を迎えることになるのかもしれない。でもきっと後悔なんてしないだろう。
握り返して後はもう水中に落ちるだけ。


あの水中特有の耳に優しい空気の音がしたきり、何も聞こえなくなった。


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