うつくしき世界

「おはようございます! 三成さん! 私のこと思い出してくださいましたか?」
「……また貴様か」
只今の時刻、7時45分。
視線だけを時計にやって確認をした。
生徒が登校するには少々早い時間である。
よって、教室には、私達二人しかいない。
それも数秒前は一人だったということを意味して――いや、今はそんなことはどうでもいい。
両手両足合わせても数えきれないほど口にした言葉を、小娘に向かって吐き出した。
「何度も言っているが、私は貴様を知らん。記憶にないのだ。前世の」

――私には前世の記憶がある。
遡ること約四百年。天下を二分し、戦国時代の終わりをもたらした関ヶ原の戦い。
そこで私は西軍の総大将を務めていた。
目の前にいる小娘もまた西軍に付いていたらしい。
らしいというのもコイツに覚えがないのだ。
言うなればそう、不思議な感覚か。
互いのことに関する記憶は一致しない(勿論鶴姫のことを覚えていないのだから)のに、それ以外のこと、例えば、長曾我部に餅を食べられ怒った毛利が長曾我部の頭上に一ヶ月間、照日の大鏡を射光し続けただとか、それによって焼け焦げた畳なんかを真田の忍が逐一張り替えていたとか。
そういうものに関しては私と小娘の記憶は寸分も違うところ無く一致する。
原因なんぞ知ったものではない。
ただ、何故だか、知ってはいけないような、そんな気はしていた。
「もう、本当に石田さんは酷い方です!! 絶対に忘れないとおっしゃったあの言葉は嘘だったんですか!? 私を裏切るんですか!?」
「だーかーらー……!」
知らないと言っているだろう!!と続けようとした言葉は、何処かから取り出してきたか不明だが、鶴姫が己の額に近づけてきたダーツによって飲み込むしかなくなった。
普段の私ならば、こんなちんちくりんな小娘などとうに一捻りしているだろう。
が、それをしないのはバックについている奴が厄介だからである。
孫市め、なんと忌まわしいことか。
「姫を泣かせたら、徳川×お前の本を描いてやる」と言伝られたのだ。
意味が分からなかったけれど、家康の名前が私の前にあるのが気に入らなかったので私としては是非とも避けたい。
「……おい」
「はい、何でしょう?」
「何故覚えていない」
すっと額から違和感が消えたと思うと、額に迫っていたダーツが鶴姫の掌の中に収まっていた。
先ほどまでの威勢は何処へやら半ば顔も下を向けている。
まるで何かを隠したいような。そんな。
でもそれ依然に、どうして彼女にそのような態度をとらせてしまったのか私には皆目見当もつかなかった。
鶴姫は俯いたまま、ぽつり、と。
「三成さんが私のことを覚えていない理由を答えろってことですか?」
「分かっているなら早く答えろ。隠しごとは好かん」
「私知りません」
唐突に下げていた面を上げて、慌てた様子で早口に彼女はそう告げた。
……分かり易いにもほどがあるだろう。貴様の隠したいこととは一体何であるのか。
元来私は頑固と言うか、気になったところは問い詰めて吐き出させなければ気が済まない性分だ。
目だけでもう一度早くしろと合図をする。
だが、結果が変わってくれることなどなく
「だから知りませんてば!!!」
その言葉と共に教室を飛び出されてしまった。
一人教室に残された私。
時計の針は既に八時を指していた。



その日の放課後。
(今日は鶴姫との朝のやりとりが気にかかってあまり授業に集中できなかった……)
「じゃーな、石田! また明日会おうぜ!!」
「ああ……また明日」
(幸い部活も無いし、家に帰って復習でもするか。やはりすべての物事を完璧にこなしてこそ、秀吉様の左腕を語るにふさわしい)
鞄を肩にかけて、帰宅モードに入る。
「石田」
名前を呼ばれたような気がするがきっと幻聴だ。違いない。私は帰る。
「石田」
無視だ、無視。コイツとは関りたくない。
形部と仲がいいからって好い気になって、形部と一番親しいのは私なのに!
「石田貴様我を無視するか。よろしいならば徳川×お前の薄くて高い本を……」
「毛利貴様も……ハッ!?」
「愚かな。我に逆らうなど五百歳早いわ」
人を小馬鹿にした様な態度で私の行く手を阻む男――毛利元就。
面倒くさい奴に捕まったと内心毒づいた。
不機嫌丸出しで床を踏み鳴らしつつ用件を急かす。
「さっさと用件を言え。私は忙しい」
「短気は相変わらずだな、石田。短気は損気だぞ」
「五月蝿い黙れ早くしろ」
「ふん、まあ、よいわ。ではお望みどおり、短くまとめてやろう。女巫のことよ」
心の内を見透かされたような切り出しに、若干の動揺を覚えた。
女巫。
それは鶴姫のもう一つの姿を形容した呼び名である。
勿論私は過去の彼女を知らないから、本人から「昔私は先読みの巫女として育てられましてねー」と聞かされるまで知らなかったが。
「鶴姫が、どうしたのだ」
「我は優しいからな、貴様らに真実を教えてやろうと思ってな。貴様は今朝、どうして自分が巫女のことだけを覚えていないのかと問うていただろう。それのことよ」
「アイツは……何か、知っている、私に何かを隠している」
毛利は少し驚いたように片眉を上げ、二度三度頷いてみせた。
次いでこちらから視線を外し窓に顔を向ける。
気の晴れないどんよりとした空模様だ。
「流石の貴様でも気づいたよう、確かに鶴姫は理由を知っている。知っていると言っても、本人が意識しない限り彼女が知ることは出来ない。自分と貴様の間に確執のような物があったかもしれないと気づき始めているがな。だから黙っていたんだろう」
「何が、言いたい」
「まだ思い出せぬか。だから貴様はいつまで経っても馬鹿なのだ。よく聞け、いいか」

「貴様が、鶴姫を」

殺した。


肩にかけていた鞄を床に投げ捨てて、誰のものとも知らない机を蹴り飛ばして。
半ば半狂乱になりながら、ある一つの教室を目指して走る。
壊れそうな勢いで開けた扉の先に、目的の人物はいた。
他の部員達は帰ってしまったのだろうか、一人で戸締りをしているらしい。
件の彼女は己に気づいて文句の一つでもと口を開こうとし、しかし開かれるより前に私は彼女を壁際に追い詰めて怒鳴っていた。
「私が貴様を殺したとはどういうことだ!?知っていたのか!?」



「え」
出た言葉はそれだけ。
三成さんが私を、殺した?
意味が分からない。
私は生きている。現に今ちゃんとここに生を受けているではないか。
嗚呼、違う。現世じゃなく。
そうだ、私は。
私は、石田三成に殺された。

今なら鮮明に思い出すことができる、私の昔の話。

「三成さん、私を殺していただけませんか」
「突然どうした。気でも触れたのか。そんなに死にたいなら今すぐ戦場に出て秀吉様と半兵衛様のために戦い、逝け」
「西軍は負けます。見えるんです。私はどうなると思います?先読みの巫女として利用される。妥当でしょう。私はあなた以外に、私の力を使うつもりは毛頭ありません。ですので、最期のこの私の先読みの力でもって殺してください。御願します」
強い力で私の身体は地面に打ちつけられた。
彼の顔越しにどんよりとした空が見える。
三成さんの目から紅いものが流れ出ていて、冷たさの正体を知った。
この人はもっと普通に泣けばいいと思う。
「泣かないで……下さい」
「泣いてなんかいない!!! 西軍は負けたりしない!!! 貴様のその口を今すぐ塞いでやる……!」
「はい。そうですね。私も泣きませんよ。笑ってお別れしたいですもの。三成さん」
首元には既に抜き身の剣が当てられていた。

大好きでしたよ。
最初で最期の告白は、耳を劈く悲鳴と共に届くことはなかった。


「全て私が悪かったんです。願ってしまったから。三成さんが私だけを忘れてまた生を受けられるようにと」
殺して欲しい、と願い出たのは他ならぬ私だ。私が望んだことであり、三成さんが負い目を感じる必要なんてない。感じる必要なんてないのに。
「だって三成さん、覚えていたら私にもう二度と近づいてくれないんじゃないかって。馬鹿ですね、私。ただのエゴだったんです」
毎日の行動だって、ただ三成さんに会う理由を作りたかっただけ。
思い出して欲しいだなんて気持ちはなく。
三成さんは、私が初めて見た透明な人だった。今でもそれは変わらない。私はそれを汚したくはない。
離れることを裏切りとあなたはおっしゃいますか?
ご免なさい。

どうか、まだ、うつくしい世界を見ていて。


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